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 COLUMN

skate columnSNOW COLUMN 2014/5/21

 

Ranran.(山下継一)
1972年生まれ。高知県出身、長野県上水内郡在住。
今年、活動15年を迎えた映像作家、mdm productions(旧mental digital movies)主宰。
スノーボード歴22年。今もなお、更に楽しみ続けているスノーボーダー。
代表作品「CRUISE CONTROL」「THE GRAVURE」「LOVING」シリーズ等、
2000年~2009年まででスノーボードムービー13作品をリリース。
Web site:http://www.mentaldigitalmovies.com/
ブログ:Ranran.目線http://www.mentaldigitalmovies.com/blog/
1回目 2014/4/2 『山』
2回目 2014/4/16 『ご縁』
3回目 2014/5/21 『Back to 90’s』
4回目 2014/6/4 『滑り続ける』

『Back to 90’s』

今から23年前、バイクや車に興味のあった僕は、地元高知県の高校を卒業後、
国際的にも有名なサーキットのある三重県鈴鹿市の某自動車メーカーの工場に就職を決めた。
その社員寮はサーキットの敷地内にあるということもあって
レースウィークの週末ともなるとレーシングマシンのエンジン音が響いているような、
モータースポーツ好きには最高の環境だった。
もちろん車好き、単車好きの集まる会社の社員寮の駐車場には
各々カスタムした車両があふれ、ノーマル車がほとんどいないほどで、
僕もV-TECHプレリュードや後方排気TZRを所有し、
休みのたびに峠やドライブツーリングにいそしむ日々だった。
そんな生活の中でメイン幹線道路の国道23号線沿いにあるマリンスポーツ用品店のショウウインドには
いつもBURTONのスノーボードがディスプレイされていて、
そこの前を通るたびに興味を惹かれるようになっていった。

僕がスノーボードを始めたのがちょうどテリエハーコンセンが
初めてのシグネーチャーボード”HAAKON AIR”をBURTONからリリースした年だった。
なかなか安いものではないスノーボードギア。
興味はあったものの手が出ずにいたがなんとかGETしたのが21歳の頃。
その当時の専門誌”SNOWingMAG誌”とSNOWSTYLE誌”のカタログ号を捲り続け、
あーだこーだと妄想を繰り返しイメージはするものの現物を間近で見たことがなかった僕は
とりあえずお店に行ってみることにした。
まずは夏の展示会に足を運ぶ。
当時暮らしていた鈴鹿市にはスノーボードを取り扱っているショップが2軒あったが
その中でも何か感じるものがあった白子駅近くの『KAZU COMPANY』という
ウィンドサーフィンとスノーボードをやっているショップでお世話になることとなった。
店に入り初めてスノーボードを手に取ったあの時の衝撃は今も忘れられない。
今思えば人生の流れが変わった瞬間だったのかもしれない。
その後、これと決めてショップに行ったのは秋だった。
人気モデルは完売で、またどれを買うか考え直すことになったが、
とりあえずイメトレということでビデオを購入。
お店でいつも流れていた『ROAD KILL』は完売だったため、とりあえず注文。
その時に買って帰ったビデオが『CREATUR OF HABIT2』
ドンザボの007風パートで有名なハーコーなビデオ。
ま、こんなことを思い出しながら書いているうちにも当時の感覚が甦ってきて熱くなる。
当時のメディアの影響力は絶大でライダーのかっこいい写真や映像に刺激を受け、ボード選びにも反映された。
とにかく当時はNEW SCOOL全盛期、極太パンツにネルシャツ、ワイドスタンス。
いかにも悪ガキなスケートスタイル。
ボードもスケートカルチャーの流れをもったものや、斬新なグラフィックのかっこいいボードが多く、
どれもが魅力的で、その中から今シーズンの1本を選ぶのは容易ではなかったし、
悩む行為は楽しみですらあった。

それから10年ほどたったある日、ある古いスノーボードをネットオークションで見つけた。
スノーボードを始めたころビデオでファンになった同じグーフィースタンスのライダー、
”マイクランケット”のシグネーチャーボードがそこにはあった。
162センチのロングレングスでハードなフレックス。
ビデオでは板をしならせ、いとも簡単にバターを決め込むランケットだが
当時ビギナーの自分には乗りこなせるわけもなく憧れのボードだったのだが、今は乗れると思い落札。
あの頃気になっていた板をあえて今乗る行為にハマってしまう。
興味はもう、軽くて高性能な新型よりもビンテージボード。
古ければなんでもいいってわけじゃなく、
あくまでもあの頃気になっていたものやカッコ良かったボードを買う。
それらは90’s前半のものがほとんどだ。

全てではないが90年代前半のボードたち

これだけ並ぶとさながら当時の展示会のよう
こんなことをしているとSNS上でも盛り上がり始め、
同じような趣味の人を集めて90’sボードでセッションしようという試みで
初めてイベントを主催してみたのが2008年。
SNSで告知して関温泉スキー場に協力をいただいて
滑らせていただいた関のクラシカルなパイプはビンテージボードで溢れセッションは異様な盛り上がりだった。

2008年イベント『NEW SCOOLERS PARTY』のフライヤー

好き者が集まりセッション photo:Miho
やはりボードは暗い倉庫で埃をかぶって眠っているよりも
手入れをされて日の目をみているほうがいきいきして輝いてくる。
モノにも魂があるというけど正にそんな感じで、
見られたり乗られたりするとボードも喜んでいるようにも見えてくる。

テリエの1stモデル。関温泉のハーフパイプにて。
サイン入りでもっていたが震災直後のチャリティオークションに出品し手放してしまったレアボード。
落札価格は133,000円、嫁さんにはガラクタ扱いされているものが初めて人の役にたちました。photo:Miho

もし皆さんの家の倉庫にも昔、自分が乗っていたボードが眠っていたら
是非出してきれいにしてみてください。
あの頃の気持が甦ってきたりするのはもちろんですが
ボードも思わぬ再会に喜んでくれるのではないでしょうか?
そして乗れるようであれば輝きを取り戻したボードで山に繰り出してみましょう。
決して乗りやすくはなく。リフトでも重さで足首がちぎれそうな思いをしますが、
いつもとは違う気持ちでスノーボードが楽しめると思います。
古いボードを乗ってると、
他人から見れば古いレンタルボードだと思われるかもしれませんが見る人がみたらカッコイイお宝です。
もしかしたらリフトの下ら羨望のまなざしで、
あなたのソールを見上げているマニアックな人がいるかもしれません。
人も楽しませ、自分も楽しむ。また新しい楽しみ方です。

遊び心溢れるデザインKEMPER&SIMS

同じブランドの同じボードでも生産地の違いなどがある。

今は何でもネットで安価に手に入る時代ですが、
本物の情報、人との繋がりを提供してもらえるプロショップがあってこそ、
もっとリアルに深く遊べる趣味になってくるのだと思います。
この楽しさにどっぷりハマり、
今この環境でスノーボードを続けられるのも90年代当時お世話になったショップ『KAZU COMPANY』
(現在はボードショップではなく飲食店を経営されていると聞きましたが)との出会いがあって
今につながっていると思います。お店はもちろん、オーナー永戸さんにはほんとうに感謝です。
やはり、出会いや、興奮、快感、価値観、人生をも変えてくれるスノーボード、最高です!

snow columnRanran.(山下継一)
1回目 2014/4/2 『山』
2回目 2014/4/16 『ご縁』
3回目 2014/5/21 『Back to 90’s』
4回目 2014/6/4 『滑り続ける』
 
 
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