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 COLUMN

skate columnSNOW COLUMN 2013/8/28

 

田畑将彦
1973年生まれ
長野市在住
カナダ、アメリカ、日本各地を放浪中に自身のベースとなるアートを築き上げる。
スケートボードやスノーボードのグラフィックに興味を持ち始めたのがアーティストとしてのルーツ。
green clothing,sobut brand,november snowboard,flux,deeluxe等のデザインにも参加。
自身のアートブランドthe other oneを立ち上げ、ほそぼそと活躍中。
1回目 2013/8/28 『北志賀ハイツという所』
2回目 2013/9/2 『北志賀ハイツという所 其の弐』
3回目 2013/9/18 『北志賀ハイツという所 其の参』
4回目 2013/10/2 『アートなのだ。』

『北志賀ハイツという所』

五明 淳よりバトンを託されました、
ナガニーズスノーボーダー 田畑将彦です。
五明淳がまだ小学生。
五明と大きく描かれたゼッケンのついた体育着でスケートボードをしていた頃よりの古い付き合いです。
ということで、コラムやる事になりました、ヨロシクお願いします。
なに書こうかな~。
では、
北志賀ハイツという所

北志賀ハイツスキー場。
全国的にも有名な志賀高原のはずれ、
そしてツアー客で賑やかな竜王スキー場のさらに奥にその小さなスキー場はありました。
リフトが三本しかないその小さなスキー場は残念ながら2004に営業をやめました。
80年代後半、スノーボード(まだスノーサーフだったかな?)が日本に伝わり、
新しい刺激に敏感なアンテナを持つ人たちの間で話題になります。
もちろん、当時のスキー場ではその物体とその楽しみ方が理解されず、
黒船来航のごとく多くのスキー場が滑走禁止でした。
リフトにも乗せてもらえない鎖国時代、
いち早く理解を示しスノーボーダーを受け入れてくれた数少ないスキー場の一つが、
北志賀ハイツスキー場でした。
多くの大会が開かれ、田舎の小さなスキー場にも関わらず全国各地、
世界各地よりスノーボーダーが集まるいわゆる、メッカでした。
そんな素敵な場所が、自宅より2時間程の場所にあったのです。
当時、高校二年生。
いつもどうり自主的に学校を早退する帰りの裏路地で、
みた事もないカラフルな蛍光プリントt-shirtを売る怪しげな小さなお店を見つけ
カラフルな色彩につられ、そのお店にビビりまくりながら扉を開きました。。。
それが、EAGLEというお店でした。
そして、スノーボードと出会いました。
その日より、ますます自主的に学校を早退し、
毎日お店に通うようになり必然的にバイトになりました。
小さなお店でしたが、毎日海外の商品が届き、僕には刺激的でとても興奮しました。
(当時、長野にVANSがはじめて届いたのはこの時だったと思います。)
当時のスノーボードには、ねじ穴がなく一本一本スタンスを決め、手作
業で穴をあけ雌ねじを埋め込み固定していました。
運悪く着地に失敗すると、バインディングごと外れるというとんでもない時代でした。
そんな流れのなか、とにかく滑りたい僕は、店が経営するレンタルで働く事にしました。
その場所が、北志賀ハイツスキー場でした。
レンタルボードは、BURTONクルーザーとかSIMS,KEMPERなどで、
貸し出し後には必ずどこか部品が壊れていました。
ブーツはOKAYだったかな~、
半乾きを無理矢理貸し出していました。
ボロいプレハブの小さなレンタル小屋でしたが、物珍しかったのか毎日にぎわっていました。
初心者高校生が教えるスクールもこの頃から始まります。
お客はチンプンカンプンだったことでしょう。
大会の手伝いにも駆り出されます。
綺麗に整備されたパイプなどない時代、
ゲレンデ脇の天然の曲がりくねったでっかい溝をスネークパイプと呼び大会が開かれていました。
初めて見るドレッドヘアーにレイバン、ネルシャツ、
たちの悪そうなスノーボーダー達がすごく格好良く、とても憧れました。
立て回転が危険とされ、必ず雪面に手を付けていないといけないという
ルールがあったのもこの頃です。
ワンメイクや、スラロームも盛んに行われていました。
そこそこ降雪量もあり、スキー場側の理解もあり、大きな大会も開かれ交流が深まり、
スノーボード特有の自由奔放なスタイルにマッチした雰囲気が、
口コミで全国各地に広まっていたのではないでしょうか。
大勢の外国人プロスノーボーダーが訪れていた事も、一つの要因でしょう。
集客も増え気を良くしたスキー場は、
ハーフパイプ、レストハウスを新設しさらに盛り上がって行きます。
こもって働く子を増え、沢山の不思議な人たちに出会えた本当素晴らしい場所になって行きました。
この後、当時ではめずらしいスノーボードパトロールに抜擢され、
スクール校長さらにはディガーチームの結成とハイツにどっぷりとつかって行く事になります。
つづく

snow column田畑将彦
1回目 2013/8/28 『北志賀ハイツという所』
2回目 2013/9/2 『北志賀ハイツという所 其の弐』
3回目 2013/9/18 『北志賀ハイツという所 其の参』
4回目 2013/10/2 『アートなのだ。』
 
 
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