COLUMN
SKATE COLUMN 2016/3/16
冨田 誠
1973/7/13生まれ 大森生まれ大田区育ち。
城南島スケートボードスクール
用務員
日本スケートボード協会
雑用係
FIFTYFIFTY SKATEBOARDSHOP
掃除係
1回目
2016/3/16
『カレーについて。(スケートボードとの出会い)』
2回目
2016/4/20
『スケートボード』
3回目
2016/5/18
『ジョウナンスケーティン』
4回目
2016/6/1
『最終回のご挨拶』
『カレーについて。(スケートボードとの出会い)』
アキさんからバトンを受けて、
コラムを書かせて頂く事となりました
冨田 誠と申します。
生まれも育ちも大田区大森、
通信簿には、「落ち着きが無さ過ぎて将来が少々心配」
と常に書かれていた少年も御陰さまで42歳となった。
社会現象と言って良い程のスケートブームが訪れた1980年代、
僕も例外無くスケートボードを始めたのは中学2年生のときだった。
3つ上の兄貴やその仲間達の影響で始め、
最初のスケートボードは兄貴のお古だった。
初めて組んだコンプリートはファッションビルのストーミー、
SantaCruz "JeffKendall graffiti", Independent、OJTeamriderは今でも忘れない。
スケボーの魅力にやられた僕は、
寝ても覚めてもスケートボードの事を考え、
毎日毎日、ひたすら近所をチクタクで横行し、
近所の出っ張りという出っ張りに日々当てこんでいた、
自宅裏の工務店で角材を拝借したにも関わらず、
その角材を利用し作ったクオーターは、その工務店の脇に出して遊ぶほど、
無神経で迷惑な少年だった。に違いない。
当時、同じ中学のスケーターの1人が、
「平和島にある太陽の広場に居る、隣中学校のひとつ上の人たちが熱い。」
ってことを教えてくれた。
どんな場所?どんな人たち??
幼心に興味津々で、とある日勇気を振り絞り単身行ってみた。
その広場にはジャンプランプが出され、
ものすごい勢いでみんなが飛んでいて衝撃だった。
そしてすぐに挨拶をし混ぜてもらうことに成功した。
以後、中学の授業が終わると急いで自宅に帰り、
早くスケボーしたさに飯を食う暇無んかあるわけもなく、
腹ごしらえの為のスナック菓子を食べながらプッシュで向かい。
「今日も滑らせてもらって良いですか?」
と一言挨拶し、時間を共有させてもらう日々が続いた。
「君は毎日現れるからあだ名が必要だ。」
と太陽広場ローカルの1人、ユウ君は言い出し僕に手がかりを探し始めた。
「君はいつもカールのカレー味を食べてるからカレーはどう?」
かなり直接的なご意見にビックリしたものの、
かとちゃんやウメちゃんやサンちゃんやペギー君はうなずき、
その日から僕は太陽の広場でカレーと呼ばれることとなった。
あだなのインパクトも手伝って、みなさんによく覚えて頂き、
今でも楽しくスケートボードを続ける事が出来ること嬉しく思います。
そしてINTERSTYLE magazineをご覧の皆様にご挨拶出来る事、
とてもありがたく光栄に思います。
スケートボードに対する思いなど、
これより3回、自分なりに綴ってみたいと思います。
みなさま付き合いの程どうぞよろしくお願いします。
CURRY
東京都大田区平和島太陽の広場
カレーが付いた直後、あだなを付けてくれたユウ君宅でウィズウメちゃん
88年船橋産業祭特設会場で行われた、
AJSAのコンテストに出場した際泊まったホテルに、
ジェシーマルティネス先生も泊まっていてパシャリ。
つづく…
冨田 誠
1回目
2016/3/16
『カレーについて。(スケートボードとの出会い)』
2回目
2016/4/20
『スケートボード』
3回目
2016/5/18
『ジョウナンスケーティン』
4回目
2016/6/1
『最終回のご挨拶』
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