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COLUMN |
SKATE COLUMN 2010/1/20 |
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ウルムス
NYのスケートブランド 5BORO SKATEBOARDSのプロを経て、現在は裏方業。
得意なトリックはF/S BLUNT SLIDEと出荷ミス。
業務の傍ら、毎日のように15歳からスケートに呼び出される日々を送る。
横浜市出身 179cm 71.4kg 10.5inch 寅年
スポンサー:VOX FOOTWEAR(ADVANCE MARKETING)/
INDEPENDENT TRUCKS(HASCO ENTERPRISES)/
PRIZE FIGHTER(KUKUNOCHI CORP)/
BLAZE PIPE/
DOUBLE FAITH/
HI針灸整骨院 |
1回目 |
2010/1/6 |
『Greeting from Yokohama』 |
2回目 |
2010/1/20 |
『ガイダンス』 |
3回目 |
2010/2/3 |
『SKATE OR GO HOME』 |
4回目 |
2010/2/10 |
『べつくち』 |
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『ガイダンス』
2回目です。
昨晩スケートしてしまい、締め切りに遅れました。急ピッチで書きます。
えっと、、、前回は横須賀からの帰り道、逗子に寄って帰ろうってとこまでだったので、
予定通り逗子に寄ってみましょうか。
神奈川県逗子市。
ここは、鎌倉、葉山、横浜、横須賀が隣接する海沿いの小さな町で、高校生の頃に本当に良く通った場所です。
横浜人か、はたまた横須賀人か、未だに良く聞かれます。
住民票は横浜から出た事はないのですが、それ以前に僕は逗子人だったような気がします。
ここで触れ、学んだことは本当に多すぎました。
それでは、、、約20年前の逗子での話です。
好き勝手書きますので少々長くなりますが、お付き合いくださいませ。
出会い
WHEEL MAGやTWSJで撮っていた、フォトグラファーのMORIH。
MORIHはフォトグラファーになる以前に隣町に住むスケーターだったのですが、
中学生の頃に通っていた学習塾で遭遇。
JIMMY'ZのTシャツを着た彼と意気投合するのは簡単な事で、しばらく二人で滑っていました。
すると彼が、「横須賀にWILD BOY'Zというスケートショップがあるらしい。」との情報を。
行ってみるとですね、みんなスケート上手すぎてドン引き。
いきなり目に飛び込んできた、TUCCA氏のノーコンプライ・フリップ一発メイクは、今でも鮮明に憶えてます。
ありゃ参った!
はい・・・完全にアウェイで結構ビビッてたんですけどね、、、
その中にですね、バッシュにシューグーをてんこ盛りで軽快に滑る高山仁の姿がありました。
やたら上手いので、勇気を振り絞って聞いてみると、
彼らは家から横須賀に行くよりも近い、逗子の公園で滑っているとの事でした。
間髪入れずに早速行ってみると、
そこにはDIYのボックスやレール、ミニランプまであってパークみたいになっていて!
しかもみんな上手いし!ええええ~~~、ウルムス、MORIH、パラダイス・ファウンドォォ!!!!
逗子市運動公園。AKAウンドコ。
そこの当時のローカルは、
高山仁(I-PATH)、桜木英生(NOMAD SKATEBOARDS)、柳町唯(NITRAID SB、元AJSAプロ)、
梅内勉(AJSAプロコンテスト優勝者)、石渡誠(CORE)、津島宣明(元AJSAプロ)などなど。
その逗子のメンバーでよく新宿のジャブ池にも通っていたので、
東京近郊の方とは遭遇していたかもしれませんね。
逗子メンと呼ばれてました(笑)
出会ってから約20年近く経った今日におきましても、、、
桜木英生は数日前にスケート中かかとを潰して休憩気味。
柳町は、これを書いてる一月半ばのクソ寒い夜にも24時撮影スタートと言ってるし。
このコラム締切日、昨日はちょうど高山仁のミニランプの映像を撮ってきたんですけどね、
当時もやってたワンフットのバックサイドディザスターやってました。
梅内とは、高山と共に近いうちに千葉の某スポットに行くことになってる。
そして僕は、石渡の作るアクセサリーを毎日身につけています。(http://www.c-o-r-e.cc/)
2010年になった今でもほとんどが繋がっていて、ほとんどが滑ってるっていう(笑
どうですかこれ!?
これって、野球部じゃなかなか無い話しだと思うし。
解釈の違いはあるけど、これもスケートカルチャーの一部じゃないかって。
場所が違えど、同年代のスケートボーダーが聞いていた音楽は大体一緒だったりとかさ。
面白いよ、スケートはホントに。
特にストリートスケーターは常に街に居るアンテナ立てまくりの人種。
あ、その辺は次に余裕があったら書きます。。
ウンドコでの人の繋がり
これは横乗り全てに共通しますが、簡単に言うと、板一つで人種、性別、年齢、国境を越えます。
当時ウンドコには、ローカル以外にも神奈川中からスケーターが集まりました。
T19の田中ケンタロウ、CHAKA、ジゾウ君も来てたし
スーヨン、ハラダマン、ユウイチロウ君、マホ君、米谷くん、
シュウちゃん、WOMのIZぽん、KAMEちゃん、松原裕一、鎌倉のローカルも大勢。
(↑当時を知る人には結構懐かしい名前だと思いますが!?)
ちなみにKAMEちゃんは終電乗り過ごしてプッシュで横須賀まで帰ってました。2~3時間?
大阪からクリリンさんが来たときは次元越えの滑りで本気でビビリました。
WILD BOYZのマコトさんが連れてきてくれて。
SM嬢もいたし、アイルランド系のかわいい姉妹、
ピタピタ衣装のローラースケートのおじいさんも居たな。元気かな?
ウンドコで出会った素晴らしいスケートボーダー達との繋がり、
先輩や仲間との経験は僕の素晴らしい財産です。
逗子で触れたスケートボーダーの動き
上のスケーターたちとの間で繰り広げられた、スネークと呼ばれる行為。
当時は基本的に、セッションになると譲り合い精神は消えました。
みんな一本でも多く滑りたいっていう。
リップからのドロップは完全に早い者勝ちで、遅い人は入れないんです。
入れない人はだんだん端に追いやられ、、、しまいには下に落とされます(笑)
全員スケート欲の塊。
これはあれですね、弱肉強食の世界を知ると共に、
その後の人生の場面場面においての勘を働かせるのに大いに役立ちました。
多感な時期の勘繰り合い、せめぎ合い、ひしめき合い。
狭いプラットホームに何人乗ってんだおまえら?っていう。
若いうちのあの緊張感と共に脳内に分泌される物質は、
SKATERS HIGH っていう、熊本のILL-Oの言葉、ぴったりだと思います。
良い悪いは抜きにして、今のキッズ達はなんとなく温室育ち、桐箱入り(時にオガクズ入り)に見えますものね。
スケートボーダーにとっての、カウンターカルチャーの精神はいつまでも残って欲しいと節に願います。
のびのび、自由に。もっとプッシュしないと。スケートはプッシュで上手くなるんだから。
カリスマ性
ウンドコ時代はそこから多くを学んだのですが、
僕が決定的なインパクトを受けたのは、やはりスケートが持つ特有のかっこよさです。
それを目の前で体現してくれたのは、湘南のスーヨンというスケーターでした。
圧倒的なスピードとスタイル。
20年近く前に目の前でF/S 360 OLLIEで縦パイロン越えられたらね。
軽く失禁ですよ。BLIND のJASON LEEの板で。
ミッキーマウスのTシャツに、ややダボ目の501、チャッカブーツ、
調子良さそうな大きなヘッドフォン付けて颯爽と現れて。
マットヘンズリーのカーゴパンツ切ってチェーンウォレット。的なかっこよさ。
彼が来ると、ほぼ体育座りで滑れなくなります。デモ。
スーヨンからは沢山の夢をもらった。
いつまでも自分のベストスケーターです。
スーヨンありがとう!
SLAP MAG 1994
左:Suuyong / fs ollie 右下:5BORO PRO Akira Ishizawa / fsnbs 写真はNISIさん?
スノーボードで数年山篭りもしましたけどね。
大雪なのにハーフパイプの雪掻いてる人はややスルー気味で。
住み込んでいたゲレンデにやって来た美谷島慎。
彼はまだ小学生くらいだったけど、当時から最高にいい滑りしてたのを憶えています。
スタイル、ライン取りや当て込むスポット、着眼点。
数年前の話ですが、ハイシー君が撮った彼の写真をたまたま手に取ったFREE RUNてマガジンで見る事ができて。
天然の倒木でのフロントボードスライドしてる白黒の写真。
何年も会ってなかったけど、良い感じに育ってるのが見れて本当によかったと思ったんすよね。
その写真一枚で分かっちゃった感じでした。
次に板買うとしたら間違いなく彼のプロボードが欲しい。
あいつの滑りが反映された板なら間違いないと思う。
山はその後のスケートにも良い影響があったし友達も沢山できた。
二十歳頃の山での時間も最高だったと今思います。
スノーボーダーの皆さん、雪が溶けたらスケートもしてくださいね!
はい、スケートに話を戻します、、、スーヨン。
滑り的にはうちのライダーに例えると、やや渡辺雄士に似てます。
上の写真の形、見覚えないですか?
そうです。うちには数名の素晴らしいライダー達が所属しています。
僕の事は知らなくても結構なんですが、うちのライダーは知っておいてもらわないと困ります。
次回は、ライダーや彼らの動きについて書いてみようと思います。
チャオ!
Urums slappy 1989 / photo by MORIH
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