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 COLUMN
skate columnSKATE COLUMN 2010/8/4  
ドラボン
宮城豪。あるきっかけから「ドラボン」と呼ばれその後定着。
沖縄県出身 33才 スケート歴20年位。
スポンサー:ROBOTproject COLORCODE HARD ZEISS
1回目 2010/7/21 『OVERGROUND BROADCASTING』
2回目 2010/8/4 『沖縄 days』
3回目 2010/8/25 『スケートビデオと大会』
4回目 2010/8/31 『出会い、そして広がっていく』

『沖縄 days』

沖縄の島の端、あまり人が行かないようなところに、小さな美しい村がありました。
その村は森に囲まれ、小さな滝があり、田園風景が広がり、すぐそこには白い砂浜と青い海が広がっている。
そんなこの世の果てのような場所にもスケートボードブームの波が静かに押し寄せてきたのでした。
当時少年達のバイブルであった コロコロコミック と コミックボンボン。
ラジコン、ミニ四駆などをマンガの主人公に取り入れ、少年達の心を鷲掴みにしていた。
後から知った事だが、当時どうやら 第3次スケートボード・ブームだったようで、
コロコロでもボンボンでもスケートボードを題材にしたマンガが連載されるようになって、
ラジコンよりも、ミニ四駆よりも、ミヤギ少年の心を鷲掴みにしたのは スケートボード でした。
誕生日か何かの時、親にねだって当時のスケートボード・ブームに乗っかってか
ホームセンターで大量に売り出されていた3000円位のコンプリート
(なんとノーズガード、テールガード、レールバーまで装着されたフル装備!もちろん品質は値段相応)を
買ってもらった。
以前ローラースケートにトライした時は3秒も立てなかったのだが、
これなら簡単に乗れて進むことも出来る!
しかも横移動する感覚が今までになく新鮮で、一気にハマってしまった。
それからは学校から帰ると、近くの山に登ってクネクネの坂道を下っていくのが日課になった。
ベアリングの滑りがあまりに悪く、どうやったらもっと早くなるか考えてサラダ油をさしたりもしていた。
もうウィール全体がベトベトになって、横滑りしてコケまくった(笑)
そのうち自分の小学校にまでスケボーブームが到来し、
全校生徒60人(!)のうちナント15人(!!)もがスケボーを持っていて、
みんなで集まって木の枝とかでコースを作って競争したりしていたのだが、
みんな一瞬で飽きてしまって、すぐに自分一人だけになってしまった。
それでも自分はスケボーで坂を下るのが楽しくて辞められなかった。
中学校に入る頃、その小さな村から都会へと移り住む事になった。
沖縄では一番の都会、那覇市である。
スケボーで坂を下るだけだったミヤギ少年はそこで初めて「スケーター」を目撃する事となった。
見た事のない服装で、見た事のない乗り方をしていて、スケボー自体も自分のものとは違う。
スケートカルチャーに触れた瞬間だった。
当時いわゆる「Big Pants Small Wheels」の時代で、
Pantsの片足に両足スッポリ入る位のぶっとさで裾は切りっぱなし、ほつれた糸は地面を引きずっていて
TシャツはXL以上、靴もちょうどハイカットからローカットへと主流が移行していたようで、
金の無いスケーター達はハイカットの靴を自分で切ってローカットに仕立てあげていて、
もちろん原型を留めていない程ボロッボロだった。
そしてウィールはベアリングの周りに薄皮のように纏わりついているような極小サイズだった。
その全てが新しくて強烈にカッコ良く見えた。
街の中学校だったとは言え、当時の同級生達はというと、
ケミカルウォッシュのジーパンに蛍光色のポロシャツをイン という服装が主流で、
それがクールだとされていたのだ。(今なら逆に新しいかもしれない!)
当時沖縄には本当に数える位しかスケーターは存在していなかったと思う。
スケーターという生き方は一般社会において極度なマイノリティーであった。
そういう存在は差別や偏見を受けやすく、風当たりは強い。
スケーターは逆境のなか一般社会に対して疑問を持ち、あえて「普通」とは違う服を身に纏い
自分の生き方はこうなんだ と誇りを持って主張しているように見えた。
彼らは空き地にセクションを創って置き、自分らの居場所を創っていた。
そしてSI(エスアイ。意味不明)というチーム名でビデオを創っていた。
そのビデオやロゴTも創って、地元のスケートショップで販売していた。
そうなんですよ。創りまくっていたんですよ。
自分の頭で考え、感じ、自ら動いて、形にしていた。 
当時一般社会のスケーターに対する目線はヤンキーや暴走族に対するそれと変わらなかった。
しかしスケーターの一般社会への主張は、「反抗のための反抗」ではなかったと思うのです。
大人の言う事に対し疑問を持たずそのまま鵜呑みにするような優等生になる事を避け
主体性を持って、来るべき自分達の未来を創ろうと努力していた。
少し大げさでしょうか(笑) 
でも自分にはそう見えたのです。
思春期に学校のシーンと全く違ったそんな強烈なリアルなシーンを見て衝撃を受けた事で、
自分のものの考え方は形作られていった。
それがスケートボード観を形成し、今のスケートスタイルに繋がっている。
既成概念にとらわれない。    think outside the box,
「常識」に対して疑問をもつ。  let not common senses restrict our minds,
自分の感性を信じる。      trust our own senses, and
遊び心を忘れない。       never forget our youthful spirit, sense of fun,
http://www.heroinskateboarding.com/winter09/06.html
次回 第三回目は「沖縄それから、そして上京」で参りたいと思います。
内容は流れによって変化するかもしれないです(笑)
それではまたで~す。


skate columnドラボン
1回目 2010/7/21 『OVERGROUND BROADCASTING』
2回目 2010/8/4 『沖縄 days』
3回目 2010/8/25 『スケートビデオと大会』
4回目 2010/8/31 『出会い、そして広がっていく』
 
 
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