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skate columnSKATE COLUMN 2010/7/21  
ドラボン
宮城豪。あるきっかけから「ドラボン」と呼ばれその後定着。
沖縄県出身 33才 スケート歴20年位。
スポンサー:ROBOTproject COLORCODE HARD ZEISS
1回目 2010/7/21 『OVERGROUND BROADCASTING』
2回目 2010/8/4 『沖縄 days』
3回目 2010/8/25 『スケートビデオと大会』
4回目 2010/8/31 『出会い、そして広がっていく』

『OVERGROUND BROADCASTING』


Heroin SkateboardsLandscape Skateboardsのボス FOSからバトンを受け継いだドラボンこと宮城豪です。
こちらのコラムはスケート業界の中心で動いているような方々ばかりなので、
自分のような業界から少しズレた位置にいる者がここでコラムを書いていいのだろうかとも思いましたが、
FOSからの紹介という事もあって書く事を決めました。
自分はプロスケーターではなく、一スケートボーダーでしかありません。
ただスケートボーダーとしての誇りはアメリカのプロスケーターにも負けないと思っております。


いきなり重いかもですが、
自分は子どもの頃から人とコミュニケーションをとるのが得意ではありませんでした。
自分の気持ちを言葉で表現するのにかなりの時間がかかってしまう。
そうこうしているうちに、なんでコイツ喋らないんだ、気持ちわるっとなったり、誤解されてしまう訳です。
それを繰り返しているうち、コンプレックスになり、共感できる友達ができず暗い少年時代を過ごしていました。
しかしスケートボードと出会い、スケートビデオで表現できる可能性を知ってから、
自分の中で湧きあがる感情とも呼べないようなものをも滑りに盛り込んでいくようになりました。 
それが何よりもコミュニケーションツールとなり自分の救いとなりました。
自分のパートを見て何かを感じてもらえる事は、私にとってはこの上ない喜びなのです。
私ドラボンの事を知らない方も多いかと思うので、まずこの映像をチェックして頂ければありがたいです。
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=JVGgqvsz3qA


この映像は、他にない独自の手法と強い主張を持って
日本スケートシーンにスケートビデオで革命を起してきたFESN 森田貴宏が
満を持して2008年に発表した[OVERGROUND BROADCASTING]の一部です。
発売されてから二カ月ほど経った頃に、
「オーバーグラウンドのドラボンパート、You Tubeでアップされてたよ〜」と
風の噂で聞いてチェックしてみたら 
FESN Headquarters パートもアップされていて結構なアクセス数で、
しかも森田とも自分とも関わりのない外国の人がアップしていたのにビックリしました。
森田もすぐにその事を知って、発売直後で複雑な心境だったと思うのですが、
自分のパートの始めのインタビューの部分や
FESN Headquarters パートの最後の一番重要な「ビリヤード」のシーンを
あえて入れないでアップしているところを見て、
この人は純粋にこの作品を良いと感じ、できるだけ多くの人に見てもらいたい、
でも重要なところはDVDで見てくれ!って気持ちでアップした事が伝わってきたので、
削除することはありませんでした。

それから少し経った頃
「なんかスラッシャーのホームページでドラボンパートが紹介されてるらしいよ」って噂を聞いて
逸る気持ちを抑えてソッコーでチェックしたら、そこに本当に自分の名前とパートが貼りつけられていました!
少年の頃からずっと見ていたあのThrasherに・・・・・興奮しました。 
自分らの知らないところで作品が評価され、世界的に広がっていたのです。
 
ちょっと予想以上の反響でしたが、
森田貴宏も自分も、そうなる事を思い描いて[OVERGROUND BROADCASTING]に取り組んでいました。
2000年、FESNが日本スケート史におけるビッグタイトル[43−26]を発表しました。
自分にとって初めて関わる全国区の作品で、
しかも前作[東西南北]を見て感動し、
絶対いつかFESNのビデオに出たいと思っていて、
やっと出る事ができた凄く思い入れのある作品です。
その撮影中はかなり頻繁に連絡を取り合って一緒に動いたりしていたのに、
[43−26]以降、しばらく森田貴宏を見かける事が無くなった。
雑誌などでもあまり見かけなくなってきて、
スケートビデオを創ってるって話も聞かなくなって、
森田さんもうスケート辞めたのかな〜 どうしてるんだろな〜って思った頃、
いきなりFESNが[BEHIND THE BROAD]を発表した。
[43−26]とは全く違う作りで驚かされたが、
何より森田さん自身がスケートしている映像がかなり入っていて驚いた。
何気に自分も登場してて、まだ俺の事忘れて無いんだな〜と嬉しくなりました。
そしてこの作品から何かを企んでいるニオイを感じました。
その翌年、これまたイキナリ [UNDERGROUND BROADCASTING] が発表され、
その試写会でエンディングを見たときに予感が確信に変わりました。 
「本気で日本から世界を狙っている」という事が。
[43−26]以降、いつか必ずFESNで全力のフルパートを出したい という思いと、
本場アメリカのスケーターに自分のパートを見てもらいたい、
歴史があり、懐の広いアメリカのスケートシーンでなら
自分の滑りを理解してくれる人も多くいるはずだという思いがずっと燻っていたので、遂にその時が来た!! 
やるならコレしかない!!と思いました。


見かけないな〜 スケート辞めたのかな〜 って自分が思っていたその頃、
とうの森田貴宏はスケートボードとビデオカメラのみを携えて、
単身世界のスケート主要都市を周って旅していたのだった。
一人でその土地のスケーター達の中に入り込み、
共に滑り、飯を食い、チルし、撮影していく中で感動したり、悔しい思いをしたり、
直接自分の肌で世界のスケートシーンを感じていくなかで
自分のやってきた事を見つめ直し、世界から日本のスケートシーンを見つめ直し、
何かしなくてはいけないという強烈な使命感が森田貴宏を[OVERGROUND BROADCASTING]に駆り立てた。
森田貴宏のこの作品にかける思いは凄まじく
「この作品を完成させるまで俺は死ねない」という程、全身全霊で挑んでいた。
自分もその頃、昼は配達の仕事、夜は整体の学校、週末は朝まで撮影で、
肉体的にも精神的にもボロボロになりながら、オーバーグラウンドへ、世界への強い気持ちだけでやっていた。
全身全霊でした。
その撮影の為だけに、一年に四回も沖縄に行ったんですよ!
そんな森田と当時右腕だったナカジと私ドラボンの向かおうとしている方向、
気持ちの熱さが完全に一致した事であのパートは強烈なエネルギーを発するものになったと感じています。
FESN Headquartersパートは更にナカジ、もっさん藤本明、中平健児、吉田良晴、工藤雄三、相磯雅一らの
この作品への思い、アイデア、それぞれのスタイルが科学反応を起こし、
あの最後のビリヤードのパートまでも生まれ、この作品の締めにふさわしい素晴らしいものになっています。

この作品の中には他にもカッコいい、ウケる、考えさせられる、そして泣けるパートまでもが入っていて
喜怒哀楽全てがスケートと共に表現されている。
作品全体の流れの中で、自分のパート、FESN Headquarters パートと見ていくと
YouTubeで断片的に見るのとは全く違った見え方になります。

自分はこの作品でパートを持てた事を本当に誇りに思います。

まだ[OVERGROUND BROADCASTING]をDVDで見ていない方、ぜひぜひチェックして下さい!

次回は自分のルーツ「沖縄」について書きたいと思います。
それではまた〜



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